キャンバスは無限

昔書いたブログから引用

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紙とクレヨン。
なんだか子どもにとっては
それすら社会性のひとつのようで
自分の目のなかにあるものすべてがキャンバスなのだから
床に描こうとも、ソファーに描こうとも
子どもを叱ることはできない。

相変わらず、線を描き続ける娘。
少し描いたら、いつものように箱にクレヨンを入れて遊ぶ。

よく考えてみれば、私が描かなければ
この子は描くことを覚えることはない。
いつか、父親がTVだかテレビでみたらしき話を思い出した。
言葉を話さない我が子のことを心配して、母親がお医者さんにこう言ったそうだ。
「いつ話すだろうとずっと声をかけることなく待っていましたが、一向に言葉を覚えません。」
すぐに医者は答えた。「お母さんが話しかけてあげなければ、子どもは言葉を覚えることができませんよ。」

嘘のような本当の話だが、言葉は勝手に進化すると思った母親を責めることもできない。
“教えてもらってない”のだから。
それはなにも会話に限ったことではないと気が付いた。
描くことも同じかもしれない。
私が描かなければ、娘はずっと線を引き続けて、絵を描くことはないのかも?

子どもは真似をすることで育っていく。
真似される大人として、背筋が伸びる。

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2013.4.18. 娘0歳11ヶ月

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